Untitled(untitled)

切れ端、描かれたもの、オブジェクト

☆こんにちは
*久しぶりに拘束があって
*居心地が悪く思います
*今朝も背中の痛みがありましたが
*電車の中では文字を追いかけていました
*追いかけていました
田崎英明
現象学者とその動物たち、あるいはニーチェ現象学
*10ページ程度☆

https://www.etymonline.com/jp/word/zoo-

☆動物や生を意味する言葉が
*b
*j
*z
*など
*濁る音から始まるのは偶然と考えるには無理があると思います☆

*本を本としてではなく
*テクストとして読むことを試みる場合
*本は本当にどこから読んでもよい☆

*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆

☆引用はしません
*一度…やめます☆

☆引用というより
*共有をします☆

vimeo.com

☆小林くんの話がきっかけで*
*奥村雄樹のことが最近気になっています
*気になっているというのは
*片想いをしている人に使う言葉だったような気がします☆

最近あの人のこと、気になってるんだよね
そうなん
そうなんだよ・


☆そういえば
*作品のアーカイブを忘れ続けています
*実技の授業は1月の初旬に終わるので
*それが終わったらボチボチやろうと
*ぼちぼち☆

☆報告
*奥村雄樹を経由して
*現代美術のアーカイブのサイトを見つけました
*Contemporary Art Library
*どどん☆

www.contemporaryartlibrary.org

☆何も書いていなくて
*足踏みをしていますが
*こういう日もあるでしょう
*12:12☆

「読む」が「測る」と違うのは、解釈するという意味もあるところ。そこには心理的距離がある。
ああ、
なるほど、
…そうかも。

☆奥村雄樹から見つけたビデオを最後まで見ました
*複数の人が、
*何かの目的ではない答えを見つけるために
*描いたり
*消したり
*言い換えたり
*をするさまは
*関係として
*美的だ☆

☆作品が
   *人とは違うものとして
             *関係し
                *繋ぎ
                  *分断し
                     *送られ
                        *返信され
                            *人のように
                                 *振る舞い
                                     *オブジェクトとして
                                              *佇み
              *Distance
https://www.etymonline.com/jp/word/distance

こちらや向こうにいるのが誰であれ、
すぐそばにいながら遥か彼方にいる。

    ☆
    *
    ☆
    *
    ☆
    *
fell a sleep,sheep
30minites
lonely...


僕はこのテキストの最初に、挨拶をしましたね。こんにちは、と

他者に質問、あるいは挨拶をすることは、自分の無知、欠落、欠乏を他者に曝すことであり、自分とは非対称の人間に助けを求めることである。*1

他者と会話を交わすということは、武器を捨てて防御を止め、みずからが立つ守備位置の門を開け広げるということである。他者、外部者にたいして自分を曝すことであり、驚き、異議、非難にみずからを開くことである。それは、人が共に発見し、あるいは作りあげたものに危険を曝すことである。会話を交わすということは、異邦人とバリ島人に、アステカ族に、犠牲になった人びとに、パレスチナ人とクチュア族とクロー・インディアンに、夢見る人、神秘家、狂人、拷問を受けている人びとに、そして鳥とカエルに、自分を曝すために、雑音、干渉、既得権、そしていつも盗み聞きしているビッグ・ブラザーと小さなヒトラーたちと闘うことである。人は他者にとっての他者となるために、会話するのである。*2

この引用の前の部分で、リンギスはミシェル・セールを引用しながら「経験主義者は悪魔だ」と言っている。この世界の合理性と論理を守るのに、この世界のノイズを聞き取ろうとする彼らの努力はそれを妨害する者でしかなくなる、というのがリンギスの主張だ。
——割とそれが全てだと思うが——
伝達不可能なものが伝達されるのではなくて、伝達されているものが伝達されているのだとしたらどうだろうか。理性に対して雑音が対立しているのではなく、雑音が伝達されているのdとしたら…雑音が理解されているのだとしたら、雑音を聞き取ろうとするこの耳は、何に向けられていると言えるだろうか。
偶然開いたページの周辺5ページほどを読んだだけなので議論の全体を把握しているわけではないが、あえてこの状態で書いてみる。
今朝読んだ田崎英明の解説にはこう書いてあった。

デリダなら、自然が選択肢、その結果、動物たちは何かを受け取ってしまうのである以上、そこには純粋な贈与は成り立たないというに違いない。それでも、リンギスは、動物たちの計算のなさのうちに純粋な贈与を見ようとするし、そればかりか、人間のうちにも動物性を、つまり、計算のなさ、純粋な贈与を見ようとする。(中略)それは生である以上、溢れ出すほどに豊かであり、つねにその輝きを無償で周囲に与えている。リンギスにとって世界とはこのようにいたるところに純粋な贈与が満ち溢れたものなのである(ただしこれは今日のグローバリゼーションの元での絶対的窮乏の存在を否認するものではない)。*3

これらの部分を読んだだけでも今はパレスチナのことを考えずにはいられないのだが、それはパレスチナへの迫害がいま如実にあるということが理由だろう。パレスチナの話はパレスチナの話としてするべきではあるが、パレスチナ人の立場に置かれうる人間、あるいは現に置かれている人間は、今、私たちのすぐそばにいるかもしれないし、それはあなた自身である可能性がある。あなたがこの世界の合理性に対するノイズである時、あなたはこの雑音なき都市の犠牲になる。パレスチナへの連帯を示すことは、生の雑音や、合目的でない生を無条件に肯定することにある。合理的でないからといって排除されるものがあってはいけない!ということは、一貫した態度として示すことができる。コミュニケーションとはそのようにして(雑音に晒されるものとして)あるべきで、そのようにしてあることができる。
なんか、これは情動的な言葉ですけれど、自己破壊しかないと感じる。『親密性』のことを当然想起するわけですけれど、絶えず会話し、他者の音に耳を澄ませ、自己知を曝し、壊し、立て直し、曝し、壊し、その、絶えず、ということがたぶんすごく重要だと思っていて、そうして耳を傾けたくないという意思に徹底的に抗い続けることにしか、そうして…

理解する人は、トーン、リズム、抑揚、つまり発声に内在する雑音、メッセージの送出に内在する不協和音から、抽象形式を抽出しているのではない。彼または彼女は、その発声に内在する雑音、つまり、かすれ声の燻るような息遣い、換気亢進か眠気を催している肺の音、ゴロゴロという音、体内の反響音といったものにも耳を傾けているのである。この雑音のなかで初めて、メッセージが個別化され、形を取り、人生の道のりで出くわす際限なく識別可能なものの経験的な現実が、示され、伝達される。
この内在する雑音によって立ち現れ、別個の存在として懇願し要求するのは、他者、しかも彼または彼女自身の肉体をもった他者である、他者とは、たんに私に繰り返し懇願したり、私と対立したりする機能なのではない。他者は経験的に識別可能な可傷性〔傷つきやすさ〕であり侵入なのである。*4


sleep,sleep,sleep...fell a sleep, I'm sleepy......(24:08)

*1:『何も共有していない者たちの共同体』p.119

*2:『何も共有していない者たちの共同体』p.119

*3:『何も共有していないものたちの共同体』解説 p.237

*4:『何も共有していないものたちの共同体』p.124