ひとつ、あるいはふたつの穴——坂下剣盟「眼鏡屋メトリー」レビュー
「ちょっとおしゃれをして行った方がいいよ。私たちは」Metryせざるをえないから。Metryせざるをえないから、私たちは。Metry、私たちは、測ることで見、見ることで測り、関心はこれらの事態に強く関与し、関心のないものは見えず、見えないものに関心はなく、関心なしに見えるものはなく、私たちはMetry、計測でしか見ることが、わたし、私たちであることがまずありえない。その眼鏡屋が名において露呈するのがこの事態でありその眼鏡が関心をアンインストールするのであればそれは、なにも見えなくなりますよ、という宣告に等しいはずだが、私には現に見えたものがそこにある。ログレンズ。
それは海洋生物、特に甲殻類だろうか、そういったものを思わせるフォルム、半透明の、多少ザラつきのある、硬質、しかし非常に柔らかな、ピンク、そして水色、ふたつの眼、眼筒、それは異形の目であった。ドアスコープは最も親しく恐ろしい他者である。そこにいるのは友人ではなく見知らぬ者であるかもしれない。なんの動機もなくそこに立ち、こちらを覗くのを待っている者。綺麗な色ですね、と私が言うと、染めたんですよ、これ、と言った。じゃあ一点モノですね、そうですねぇ。工芸に近い。じゃあこれかけさせてください、はい、かしこまりました、と、彼が言ったかどうかは覚えていないが、眼鏡が全く工芸的な質感を伴っていなかったのは間違いのないことだった。圧倒的に安い。3Dプリンターで造形されたものであるということが一瞬でわかる。ビジュアルのクオリティに比して材質の質感が伴っていない、そう思った。耳はヘッドホンで塞ぐ。でも周りの音は完全に聞こえる。会話もできる。ただ唯一視界と、頭部になにかしらを装着しているという感じだけが、その眼鏡がもつ障壁であった。眼鏡屋でこんなものが売っていたらギャグかと思う。眼鏡屋メトリー。
似合ってるかな?と私は同行した友人に聞いた。友人は即座にスマートフォンをこちらに向けたが、私はどういう顔をしていいかがわからなかった。どういう顔をしているのだろう。どういう顔をしているのだろう?私は。眼鏡をはずしたあと、私は口を一文字に閉じて頬に靨をつくった自分の顔が映された写真を見て微妙な顔をした。眼鏡屋には二枚のポスターが飾られていた。眼鏡をかけた女性が写っている。こちらを覗き見るようにする女性の頭部を、左斜め上を眺める女性の上半身を、見る。舐めるように。光る身体とカラコンの眼球。彼女は私を見、ガラス板は反射して私を映している。彼女はどうしてログレンズをかけながら使っていないのだろうか、どうしてその身体をこちらに投げ出してくるのだろうか、私はそのことに慄いた。目がふたつある。鏡がない。穴はふたつに見えているのが正解ですか?いや、ひとつになるはずですね、ここで調整できるんです…このレンズの上のバーで。あー、なるほどです…。穴がふたつ見える。ちょうど自分の眼窩を覗き見るように。穴が重なる。極端に集中させるとうまくいく。眼球を弛緩させたり締め付けたりする操作がわかる。私の、ではない、脳の、何者かの脳、の。私?いや、私、とかではない。脳。ふたつのもぞもぞと動く球、僕のじゃない、眼球。そこにあるものをこう呼ぼう。身体。罠に嵌まらないように。そこにある身体がそこにある。見える、産毛が、白飛びした肌が、グレーのニットが、白に水色のヘッドホンが、ショートカットの赤髪が、せめて下地だけでも塗ってくるんだった、ニキビの跡が、整えられていない髪が、やや開いた口が、唇が、カラコンが、眼球が、鼻腔が、睫毛が、ログレンズが、白いシャツが、腕が、ネオンが、闇が、影が、歯が、レースが。
君はこの事態を前に動揺するだろう。しかしそれは私たちが権利をもつよりも前に自由であることの唯一の条件なのだ。手に持ったフィルムをドアスコープに近づけると加速度的に近づくようになる。突然、冷えた金属が瞼に宿る。ドアスコープに瞼が触れたのだ。ドアスコープは極度に眼球を接近させないと見ることができない。今触れたのは瞼ではなく眼かもしれないがそれはわからない、とにかく眼が触れたのだ。穴をある一瞬の持続のうちにひとつにすることができる。君はそしてそこにあるものに驚き、あるいはそれを否認することだろう。関心。
関心が、尺度が、デバイスから消去されたところでなお私は私をもつ。全く別の私を、全く別の身体として。私自身を手放すその地点で。ムード。フォルム。ポリティクス。私はログレンズである。
自動販売機はカメラである。しかし、自動販売機は彼である。そして、自動販売機は私である。1階での出来事を思い出そう。すべての景色にピントが合う。眼球を動かす。距離が見える。穴がふたつある。穴が。穴がふたつある。ここにはひとつしかない。ここに違いがある。であるならば、であるならば自動販売機は上記の者たちと全く同じようにして屍体であるとしよう、ブレる、しかし穴がひとつになる瞬間がある、眼がカメラになる。ならば、我々はすでにして屍体である。ログレンズは装着者の目を殺しながらなおも存在たらしめ、説明不可能な判断を要求する。どの尺度においても説明のしようのない判断を。アプリケーションがアンインストールされてもデバイスにはその記憶が残るのだという。でもきっとそんなことは忘れている。そして忘れてしまったことも。眼鏡はかけると忘れる。ログレンズ。それはデバイスではない。デバイスをデバイスたらしめるデバイス。身体を身体たらしめる身体。それがログレンズだ。マルセル・デュシャンはレディメイドの制作において視覚的な関心を排することを条件づけたのだという。ならば現代におけるレディメイドとは、すべての関心が取り払われたあとで、どうしようもなく要請された判断の尺度を露呈させることだ。ログレンズ。それは身体はデバイスであると唱える。全て忘れたあとにどうにかしてここに繋ぎ止めておこう。身体はその錨となるだろう。そう、君がたとえ不安だとしても、君はすでにしてヴァーチャル/リアルであるのだ。
展覧会概要は以下より。
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■
微熱があるみたいですね
なにか
いえ、なにも…
ま違えた
中に
微笑が服従のしるしです
ふざけんなよ
君はきけないもんね
ないよね
嘘かな
カモン 真理
Happy birthday, グッバイ
微光と、視ら
おやおやこれは
あの
寝ずに
ano
破線があなたの顔面を
挫きますように
Go…d night.
次の子猫ちゃんを微分せよ。
ただし、⑴, ⑵ は、視の定義するところに従うこと。
⑴ ごまかし
⑵ 愛してる
⑶ 隠蔽
⑷ 猫
初期微動継続時間
Particle
去れ
Sublime
わたしをみて*1
(あの)者たち
(の)
*1:長谷川白紙. (2021). わたしをみて [song]. On わたしをみて- Single. Moment Scale.
■
時間の感覚というのは等しく流れるものではなく、相対的な速度によって変わるものだということを確かめました。
全てがプレーンになったことを装うこの普遍的な場所は、光に最も近い場所です。教会偏差値は40.34。死体ばかり。
研究結果:埼玉県は歩くのに適した領域ではない。
■
消えてしまってはあまりに悪い。
ブルーのラインがぼんやり入ったグラス
コースター
画鋲
画鋲
紙(B6)
小ぼうき(部分)
28.5cm×21cm×10cm
2014年 趣味
2023年 口移し
2023年 目的
2023年 世界
2024年 発作
window
どうですか 聞こえますか
あなたがそこへ行くならば、漕いで
寒いですか
もう夜ですね これから
一段と冷えますね
怖い
お粥です
peep
隙間風が入ってくるでしょう
あげます
あなたには庭がないから
ブルーシートと白湯で
あなたの部屋で
あなた自身の手で
丁寧に侵す
道具 皮膚が ドローン
door
滅菌をするんです
ここは領土ですから
そうですか
砂風が吹いていました
どうでもいい目
皿洗い
濃厚接触ください 乱交パーティーつき
あと羊
wall
停電で
BlueLight じゅくじゅくの
汗 光線 意思 chat GPT
sky
無駄よ、ジュリース
Amazon
ストーン
◼️(すっとぼけ)
突進・激突・スプラッタ
ミラー

小峠
What a day…,why…,
■
油断していたら足元を掬われた…最悪(さいあく)
☆*
全て等価に並べられてしまったのでどこから手をつければわからなくなりました…最悪(さいあく)
☆*☆*
こんなに厄介だとは思わなかった。*1
☆*☆*☆*
時間は物質だと思う……(サーモンより)
☆*☆*☆*☆*
空間芸術を時間芸術と捉えることを意識する前にあったのは、空間芸術を物質として考えることでした。
☆*☆*☆*☆*☆*
物質は芸術ではないんですか
☆*☆*☆*☆*☆*☆*
space - time - matter - sex
☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*
90sec.
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暗闇を物質的だと知覚することがあります
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☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*
えっと、何か話すことありますか?
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◾️暗闇にはいつか視力が回復されることへの期待が潜在している、別言すると、暗闇には可視性が否定的(ネガティブ)な様態で潜在している。*2
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◾️、四角、死角、視覚、刺客
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論拠
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腕から先が暗闇に溶けて消え、触覚が麻痺したのかと錯覚するばかりだ。暗闇の触れえなさ、始点と終点の見極めがたさ、野外にいる私が天を仰いでその広がりに目を彷徨わせるとき、空がどこからどこまで空なのか分からないのに少しだけ似ている*3
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出口がない空間、でも外部がある/要請されている空間…みんなは逃げたいですか?お外に。庭くらいがちょうどいいですかね。
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じゃあ、呼んで みますか…
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減ってますよね
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いつもそう思います。
減ったところは捻れている。だって作品はあるから、
でもないじゃないですか。
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現実は、その内包とは無関係に(特定の認識論的な内容に関係なく)、ただ端的にあるだけである。「無内包の現実」においては、存在論的に「ある」ことと、認識論的に「ない」ことが一つになっている。
(中略)
しかし重要なことは、「無内包の現実」における矛盾「(存在論的に)ある」かつ「(認識論的に)ない」が、「単一体形成的」であるということである。「単一体形成的な矛盾」とは、「擬似的な矛盾」ではあっても、それによってこそ、一つの(それ以上に分割しては意味を失ってしまう)ユニット(単一体)を形成するように働く「構成的矛盾」のことである。*5
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…といったような話を思い出しました。減らされたと感じるのはそのせいでしょう。あるが強調されるのではなくて、減らされた現実があるような気がして…
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「減らす」行為とは、減らす部分に対して行われるが、減らす部分と減らされる全体の関係によって成り立つ。(中略)その全体の大きさは可変的で、しかもある全体は別の全体へと推移しうる。*6
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減らされるためには全体があります。そして減らされるためには「ある全体」が「別の全体」へと推移することを防がなくてはいけません。
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袋は、入れられる容積を持つ。
たまたまグラスを左に入れる。
グラスを右にずらすことのできる容積がある。
動かすと、左には痕跡が残り、袋は右に傾く。
そのことだけが生む、かたち。*7
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作品(2011 Plastic bag,crystal 24 x 21 x 10 cm)
右へ
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空間は用意するものなのでしょう
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作品(2024 multichannel video 90sec)
時間は物質だと思う……(サーモンより)
同じやり方なら大丈夫でしょう
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電車が駅に到着して扉が開くとき、先頭車両から私が降りてきて、一番後ろの車両から反転した私が降りてくる可能性はありますか?
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さっき庭が、と言ったのは、家をずらしたり削ったりすれば庭ができるからです。門から出なくても良いわけです。
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電車の中で私と反転した私がすれ違ったとき、両者の関係は反転しますか?
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たとえば、誰かが侵入しないようにあなたが庭を柵で囲うとする。その柵は庭の境界の意味をもつが、境界が庭を囲っているわけではない。(中略)しかしあなたは柵で囲うことで、囲われた範囲を庭として示している。「囲う」という行為においては、囲われる範囲と囲う範囲とが等しい。そして、囲われる範囲は囲う行為によって示される。
では「閉じる」の場合はどうか。「閉じる」という行為においては、閉じられる範囲と閉じる範囲は等しくない。また、閉じられる範囲から閉じる範囲を差し引いた範囲は、行為する前からある程度閉じられている必要がある。*8
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油断、という名前の展覧会がありましたね
www.ueno-mori.org
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足元を掬われた…
全て等価に並べられてしまったのでどこから手をつければわからなくなりました…
最悪(さいあく)
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ふたつの二重化があります。
ドア/門、囲う/閉じる
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ドア
(開いているか閉まっているか)
(壁で5面が囲われている)
(部屋)
(鍵)
(可動壁に近い)
(閉まっていることが多い)
(ドアノブ)→ドア
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門
(開かれているか閉じられているか)
(柵などで四方を囲われている)
(領域)
(正規のルート)
(開かれていることが多い)
(門番)→門
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囲う
(引用を参照)
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閉じる
(引用を参照)
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暗闇は密室の中で
もしドアを開けることができたら
部屋をずらすか削るかして
門と柵を用意しておくこと
庭ができます
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油断していたら
やってくる
取り返しのつかなそうなことには
分別をもって
混乱するのではなく
(全てを知っているので)
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光学機器 外から見ること 疎外
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カメラは、そのような主観性を光学的メカニズムによって自動的に回避する。つまり、主観性を通してしかあらわれない世界が、しかし映像メディアにおいては、非人間的(光学的)現象として客観的に現前するのである。
だがそのとき、わたしたちはすでに、世界から排除されている。わたしたちはもはや「世界を正面から見つめるというより、世界を外側から」眺める存在として、その外部に位置付けられているからだ。そして、カヴェルによれば、そのような外部性を保証するものこそカメラの存在にほかならない。*9
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視線ではなく世界があり、映像の鑑賞が「外から見ること」であるならば、カメラは門かドア、どちらかの役割を果たすはずですよね さながら盗撮です
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Quad を思い出してください ここではカメラは門の役割を果たしています。
無闇 には穴が開けられていて音が聞こえます。見えないということより覗かれていることへの不安でしょうか。
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穴は開いているか閉じているかというより塞ぐか塞がないかが問題になっている。もし穴を塞ぐ手段がなければ、庭の領域とそれを囲う柵、門と門番が空間を守る。
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元々部屋があるのではなくて、敷地の中に壁を立てて密室を作りあげるという方法で考えることはできないか。とりわけ音に関して……
穴があいているからどうにかして塞がなくちゃ。でないと大変なことになってしまうかもしれない。
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観察する、とはつまり、二、三時間おきに聞き耳を立て、その結果を辛抱強く記録していくということでわたしのように壁沿いに耳を滑らせ、物音がするたびに土を掘り返すような真似をしないということだ。結局そういう振る舞いじゃ、本当に何かを見つけることにはならず、内心の不安を行動にあらわしているにすぎない。*10
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天牛が腐らせて切られました。
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youtu.be
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実はあまり不安がらなくていい。作品はかたちであり、時間は物質だからだ。
一緒になりたい……
幕が掲げられた
アイスクリーム ダブルで
90秒
患者 ゴム手袋 外して
あなたの死は外からやってくる
3つのオブジェクト
3つの時間
僕のことは見えないかな 見えないよね
見えてるよ 君のことが
見えてるよ
見えてる
見えてるから
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ノック・ノック・ノック
ノック・ノック・ノック
出ろ
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出たって何もないじゃないですか!死ねとでもいうんですか?
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反転
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■
☆こんにちは
*久しぶりに拘束があって
*居心地が悪く思います
*今朝も背中の痛みがありましたが
*電車の中では文字を追いかけていました
*追いかけていました
*田崎英明
*現象学者とその動物たち、あるいはニーチェ的現象学
*10ページ程度☆
https://www.etymonline.com/jp/word/zoo-
☆動物や生を意味する言葉が
*b
*j
*z
*など
*濁る音から始まるのは偶然と考えるには無理があると思います☆
*本を本としてではなく
*テクストとして読むことを試みる場合
*本は本当にどこから読んでもよい☆
*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆
☆引用はしません
*一度…やめます☆
☆引用というより
*共有をします☆
☆小林くんの話がきっかけで*
*奥村雄樹のことが最近気になっています
*気になっているというのは
*片想いをしている人に使う言葉だったような気がします☆
・最近あの人のこと、気になってるんだよね
・そうなんだ
・そうなんだよ・
☆そういえば
*作品のアーカイブを忘れ続けています
*実技の授業は1月の初旬に終わるので
*それが終わったらボチボチやろうと
*ぼちぼち☆
☆報告
*奥村雄樹を経由して
*現代美術のアーカイブのサイトを見つけました
*Contemporary Art Library
*どどん☆
www.contemporaryartlibrary.org
☆何も書いていなくて
*足踏みをしていますが
*こういう日もあるでしょう
*12:12☆
「読む」が「測る」と違うのは、解釈するという意味もあるところ。そこには心理的距離がある。
ああ、
なるほど、
…そうかも。
☆奥村雄樹から見つけたビデオを最後まで見ました
*複数の人が、
*何かの目的ではない答えを見つけるために
*描いたり
*消したり
*言い換えたり
*をするさまは
*関係として
*美的だ☆
☆作品が
*人とは違うものとして
*関係し
*繋ぎ
*分断し
*送られ
*返信され
*人のように
*振る舞い
*オブジェクトとして
*佇み
*Distance
*https://www.etymonline.com/jp/word/distance
こちらや向こうにいるのが誰であれ、
すぐそばにいながら遥か彼方にいる。
☆
*
☆
*
☆
*
fell a sleep,sheep
30minites
lonely...
僕はこのテキストの最初に、挨拶をしましたね。こんにちは、と
他者に質問、あるいは挨拶をすることは、自分の無知、欠落、欠乏を他者に曝すことであり、自分とは非対称の人間に助けを求めることである。*1
他者と会話を交わすということは、武器を捨てて防御を止め、みずからが立つ守備位置の門を開け広げるということである。他者、外部者にたいして自分を曝すことであり、驚き、異議、非難にみずからを開くことである。それは、人が共に発見し、あるいは作りあげたものに危険を曝すことである。会話を交わすということは、異邦人とバリ島人に、アステカ族に、犠牲になった人びとに、パレスチナ人とクチュア族とクロー・インディアンに、夢見る人、神秘家、狂人、拷問を受けている人びとに、そして鳥とカエルに、自分を曝すために、雑音、干渉、既得権、そしていつも盗み聞きしているビッグ・ブラザーと小さなヒトラーたちと闘うことである。人は他者にとっての他者となるために、会話するのである。*2
この引用の前の部分で、リンギスはミシェル・セールを引用しながら「経験主義者は悪魔だ」と言っている。この世界の合理性と論理を守るのに、この世界のノイズを聞き取ろうとする彼らの努力はそれを妨害する者でしかなくなる、というのがリンギスの主張だ。
——割とそれが全てだと思うが——
伝達不可能なものが伝達されるのではなくて、伝達されているものが伝達されているのだとしたらどうだろうか。理性に対して雑音が対立しているのではなく、雑音が伝達されているのdとしたら…雑音が理解されているのだとしたら、雑音を聞き取ろうとするこの耳は、何に向けられていると言えるだろうか。
偶然開いたページの周辺5ページほどを読んだだけなので議論の全体を把握しているわけではないが、あえてこの状態で書いてみる。
今朝読んだ田崎英明の解説にはこう書いてあった。
デリダなら、自然が選択肢、その結果、動物たちは何かを受け取ってしまうのである以上、そこには純粋な贈与は成り立たないというに違いない。それでも、リンギスは、動物たちの計算のなさのうちに純粋な贈与を見ようとするし、そればかりか、人間のうちにも動物性を、つまり、計算のなさ、純粋な贈与を見ようとする。(中略)それは生である以上、溢れ出すほどに豊かであり、つねにその輝きを無償で周囲に与えている。リンギスにとって世界とはこのようにいたるところに純粋な贈与が満ち溢れたものなのである(ただしこれは今日のグローバリゼーションの元での絶対的窮乏の存在を否認するものではない)。*3
これらの部分を読んだだけでも今はパレスチナのことを考えずにはいられないのだが、それはパレスチナへの迫害がいま如実にあるということが理由だろう。パレスチナの話はパレスチナの話としてするべきではあるが、パレスチナ人の立場に置かれうる人間、あるいは現に置かれている人間は、今、私たちのすぐそばにいるかもしれないし、それはあなた自身である可能性がある。あなたがこの世界の合理性に対するノイズである時、あなたはこの雑音なき都市の犠牲になる。パレスチナへの連帯を示すことは、生の雑音や、合目的でない生を無条件に肯定することにある。合理的でないからといって排除されるものがあってはいけない!ということは、一貫した態度として示すことができる。コミュニケーションとはそのようにして(雑音に晒されるものとして)あるべきで、そのようにしてあることができる。
なんか、これは情動的な言葉ですけれど、自己破壊しかないと感じる。『親密性』のことを当然想起するわけですけれど、絶えず会話し、他者の音に耳を澄ませ、自己知を曝し、壊し、立て直し、曝し、壊し、その、絶えず、ということがたぶんすごく重要だと思っていて、そうして耳を傾けたくないという意思に徹底的に抗い続けることにしか、そうして…
理解する人は、トーン、リズム、抑揚、つまり発声に内在する雑音、メッセージの送出に内在する不協和音から、抽象形式を抽出しているのではない。彼または彼女は、その発声に内在する雑音、つまり、かすれ声の燻るような息遣い、換気亢進か眠気を催している肺の音、ゴロゴロという音、体内の反響音といったものにも耳を傾けているのである。この雑音のなかで初めて、メッセージが個別化され、形を取り、人生の道のりで出くわす際限なく識別可能なものの経験的な現実が、示され、伝達される。
この内在する雑音によって立ち現れ、別個の存在として懇願し要求するのは、他者、しかも彼または彼女自身の肉体をもった他者である、他者とは、たんに私に繰り返し懇願したり、私と対立したりする機能なのではない。他者は経験的に識別可能な可傷性〔傷つきやすさ〕であり侵入なのである。*4
sleep,sleep,sleep...fell a sleep, I'm sleepy......(24:08)